相手を偶像化して人間扱いせず「自分がしたいように崇拝する」。
人間にして良いのは尊敬と信頼であって、崇拝ではない。
人間を愛玩するのはもちろんダメだ。
愛玩とは必ず強者が弱者に行うもので、
強者が弱者をモノ化して「自分がしたいように愛玩する」。
芸能人としてのアイドル(偶像)は存在していいとは思う。
が、酷使や搾取や尊厳において問題が多いのも事実。
さて、アイドル(芸能人に限定しない)は
言葉から考えれば「ファンがしたいように崇拝する」存在なのだが、
ファンの性別でアイドルに対する行為と心性は異なる。
女性ファンは崇拝する。
対象の性別は問わない。
宝塚ファンの女性が宝塚スターを崇拝するのは、何も問題ないと思う。
男性ファンは愛玩する。
愛玩で収まればまだいいが、セクシャルハラスメントが目立つ。
女性声優のSNSにセクハラが絶えず、アカウントを削除したのはその一例。
社会全般で、セクハラを「ちやほや」と考え違いしている男が大量にいて、
男から女性への愛玩がもれなく性的愛玩であろうことを考えれば、
女性アイドルは「男の性的玩具」でほぼ間違いないのではないか。
※男が「(女性を)ちやほや」と言ったらそれは「女性を性的に愛玩」の自白だ。
「ちやほや」の定義(新明解国語辞典)
その面(仲間)では自分が最もすぐれているのだという気持ちにひたらせるように
ご機嫌をとったりお世辞を言ったりすることを表す
男は女性の能力や努力や人格を褒めない、認めない。
男にとって好ましいこと(キレイ、可愛い、セクシー、気立て()が良い、等々)についてだけ言うので、男は女性を持ち上げるつもりで?いちいち無礼なのである。
アイドルに話を戻す。
女性アイドルへのセクハラはマスメディアの段階からある。
一例、女性の名前呼び捨てや愛称。
芸能人はもとより、スポーツ選手に対して当たり前のようにそれをやる。
「所有物としての娘扱い・オレの女扱い」がダダ漏れ。
男性ファンがアイドル崇拝する場合もあるが、
それは男性に対してだけである。
古くは映画スター(三船敏郎とかあの辺以降)から、
団塊の世代に支持されているだろう矢沢栄吉とか、
創作上のキャラクターにもある、力石徹とか。
↓横道だけどこれも読んでw
自認原理主義のTGは「減量しない力石」である
http://lttlleo.seesaa.net/article/464143833.html
● こんな力石は嫌だ
「いーな ジョーは減量しなくてもバンタムでいられて」
「体重計に怒りを覚えるほど自分の体重が好きではない」
● 詐欺と怠慢
「トランス女性は女性です」
「トランスバンタムはバンタムです」
(中略)
「トランスバンタム」と言われたら、
「別階級からバンタム級に移動した選手」と思わない人がいる?
まさか、
「ウェルター級の体重のまま、減量する気もないが、バンタム級でやりたい人」が
「トランスバンタム」を自称するなんて、普通は思わないじゃない?
力石徹ファンには男性も女性もいる。
みな力石を熱愛し崇拝している。
力石を愛玩、ましてや性的妄想を被せる人はいないと思われる。
少女向けに作られたキャラクターに対してはどうか。
プリキュアを少女は熱愛し崇拝し、少年をとっくに超えた男は愛玩しているだろう。
二次創作であれ、実在の人物を題材にするものであれ、
作者や当人が見て歓迎すると思われるなら一般公開、歓迎しないと思われるなら限定公開、
ゾーニングの線引きは明快にそれだと思う。
ちなみに、過去自分はある俳優のイラストを描いていたのだが、
描くのは「本人や家族友人が見たとして、喜んでもらえるもの」と決めていた。
後にツイッターで本人に送ってみたら、Favしてくれた。
女性ファンが愛玩する場合は、
同好の士だけで共有し、一般の目に触れないようにするのが普通だ。
ところが男性ファン?はどうだ。
作者や当人は無論、他のファンの困惑や嫌悪への配慮はどこに?
ハラスメントを堂々とやる、男の共通項がここでも出る。
崇拝と愛玩の違いは、直接対面でも明白に表れる。
例えばファンミーティングや握手会。
女性ファンなら清潔と身なりに最大限気を配るだろう。
男性ファンが全員それをしないとは言わない。
しかし女性アイドルに臭い対策を求められるほどなのだから、相当酷い。
また「それほどに無神経だった」と反省すればいいものを、逆上する。
女性アイドルを「上に掲げて崇拝」しているなら、上からの苦言に素直に反省するはずだ。
女性アイドルを「下に据えて愛玩」しているから、下からの進言として逆上するのである。

