● 無償の愛と報われ感
● 性欲無罪、支配有罪
● 利用と愛玩は愛の逆である
ぬいぐるみに愛情を注いで一緒に生活している人間なので、一般的には生きていないとされる存在への愛情自体は否定しないんだが、最終的に使用者が快感を得て射精することを目的として作られているドールに対する気持ちを「無償の純粋な愛」などと言えるのは根底に「男の性欲無罪」論があるからだよね。
— 珈音(怒りのWeAreケロケロ)🍤 (@gohstofcain) 2019年3月11日
ラブ()ドールへの気持ちを「無償の純粋な愛」って、気持ちわりぃなぁ~~~~~~~。
そもそも「ラブ」ドールじゃない。
「性処理ドール」と正直に言うべき。
>根底に「男の性欲無罪」論があるから
自分の考えはちょっと違う。
その男が「愛」をどう認識しているかの問題だと思う。
ドールに対してあるのは「純粋な利用と愛玩」だろう。
※「愛」から「無罪論」の指摘には「明示されていない行間」があるとは思う。
それについては後述。
● 無償の愛と報われ感
モノであるドールに対して「無償の」の発想が出るのもおかしくて、
そいつにとって何を「償」と考えているのか問い正したい。
「愛」?自分が「利用し愛玩する」相手から「愛」? 厚かましい。
なお、愛が継続するのは
「なんらかの報われ感」があってこそだと思う。
愛玩は、愛玩自体が快なので、報われ感は関係ない。
花に愛情を注いで育てて、元気に綺麗な花を咲かせたら、それが報われ感になる。
育てても育てても枯れてしまうとしたら、愛を持ち続けるのは無理だろう。
人間に対しては、発達に応じて表明が報われになる。
乳児なら健康で幸福そうに見えること。
幼児なら+好意を見せてくれること。
小学生なら+絵や手紙や肩たたき券など。
成人なら+相応のお返し。
やさしさは扱いがむずかしい。
https://note.mu/toko_kikuchi/n/n14785b43a474
わたしは、無償のやさしさを受けてそれが嬉しくて役に立ったのなら、
同じく無償のやさしさで返すのが、少なくとも人間らしい振るまいなのじゃないかと、思う。
(中略)
実利と対価のやり取りではなくて、心と心の与えあいということ。
● 性欲無罪、支配有罪
「無罪論」に関して。
ケロさんに「ドール利用は罪」の意図があるかはわからないが、
「罪だ」を前提にしないと「無罪」は出てこないと思う。
「性欲」は動物の本能、
「自慰」も排泄のひとつで、罪の問題ではない。
「性処理ドールを利用」は「罪だ」と思う。
自慰において
「女性支配~貶め・辱めの妄想」をするのは罪だ。
「女性支配~貶め・辱めに基づく性商材」はもちろん罪だ。
「偏見・加害・差別」を男の意識にも、関わる女性にも及ぼす。
自慰の妄想がこの場合に限っては罪ではないかなぁとは思うのが
「女性を尊重し大切に扱ってのものである場合」。
ただし妄想は妄想に過ぎないので、
「独りよがりのやっぱりミソジニー」になる可能性は高い。
でも例えば男性が醜形恐怖症で自分の身体をどうしても見せたくないとか、
相応の理由があって、妄想が互恵に基づくのだとしたら、
許されてもいいのかなぁ、というあたり。
同時に、メンタルの医療ケアが必要とは思うけどね。
とはいえ、
「女性の身体を模している」のは「女性の身体の代替」だし、
「女性でなくドールがいい」の抗弁は
「人格のある女性でなく、人格のない・人間でないドールがいい」であり、
「人格のない女性」を男が求めているのを男が見せている。
「人形の家」はノラが「人格のない女性=人形」として愛玩されていた話で、
「人格のない女性」と「ドール」を選べるなら、男は前者を選ぶのではないか?
「人格のない女性」とは、BSYとか、少年漫画のヒロインとかに代表される、
「男に徹底的に都合のいい、見た目がよく感情労働に長け、自己主張をしない女性」。
これは「男による身勝手な妄想でミソジニー」で、
男がもれなく抱く女性に加害的な妄想、「男の原罪」のひとつだと思う。
カテゴリ:表現物:Born Sexy Yesterday
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