「コルセットに抗ってムチで打たれてきた人」
の存在を否定する発言があった問題について。
※今回はアカウント名を出さないことをご了承ください。
特定アカウントからの発言+脱コル表明のアカウント全体の問題としてです。
脱コルが盛り上がってきたのはとても喜ばしいのだけど、
「目覚めた」高揚、「共にある」高揚、「一歩を踏み出せた」高揚、
そこに、
「先人が存在していることに気づいていない自分に気づくこと」
が必要なんじゃないかと思う。
先人の存在は考えもしなかったことで、
その、考えもしなかった無自覚の存在否定が、
当事者からの声としてあがっているのだから、
自分が無自覚だったことをちゃんと認識して、敬意を払う。
それは必要なことで、するべきことでもあると思う。
先人を無自覚に存在否定していたことも、
自分がマクロで先人を圧迫する勢力の一端であった構造の事実も、
それらを認識するのは愉快なことではない。
知らずにいたいことだと思う。
でもそれはダメだと思う。
自分が楽しく、気分よく、「勇気ある素晴らしい行動をしている」と感じていたい、
を優先して先人を踏んでいたら、公正性を自分で毀損することだろう。
先人からすれば後から来た人が(マクロでの圧迫を度外視したとしても)、
先人の存在否定で「ワレワレの新天地」として旗を立てるのは、
そりゃぁやっぱりやりきれないと思う。
2019年01月03日
保守コルセットの皆さん、実践できなくともせめて曲解やめて
http://lttlleo.seesaa.net/article/463491218.html
誰かが降りないといけないとして最初に勇気をだし降りるって宣言をしてくれたんだじゃないか。韓国ラディフェミ様方々も秋瑾様もブルーマー様も嘲笑蔑視批難覚悟で女性の権利向上のためだけに、そうゆう人たちに「私はすきでやってるのに!」と男社会と一緒にトマトと石を口で投げつけるそれがフェミ?
— いいぞ iizo 이이조 (@yojaikiru) December 27, 2018
脱コル写真をあげることについても、
(先人以外には)よいことだろうと思うんよ。
勇気づけられて、自分も!と思う人を増やす効果があるだろう。
でもね。
「レーンに載せられ走らされる」は被害であると同時に
「レーンを拒否して走らない人」を場外に周辺化することでもある/あったのだし、
「レーンに載らないから降りる行為が発生しない人」が最も正しいのに
「レーンを降りた!」で盛り上がるのは・・・問題があるでしょう・・・
これってごく普通に
「真面目にやっていた人が、真面目にやっていたことを素通りされ」
「不真面目だった人が、不真面目を改心した宣言で称賛される」的な話では?
「放蕩息子の帰還」。
真面目に働いていた兄に父が「お前はすでに祝福されている*」なことを言うのは、
父が兄を正当に扱わないことの正当化だと思うよ。
「神の子羊」思想は「君主と下僕」に都合がいい
http://lttlleo.seesaa.net/article/473346759.html
*ケンシロウの不吉な予告みたいだな
先人への存在認識と敬意さえきちんとあれば、表明があれば、
脱コル写真をあげるのは「デモンストレーション@SNS」で意味ある行為だと思う。
デモだってデモンストレーションですよ。
デモ行進は「デモンストレーション@公道」ですよ。
表明し、認知され、主張を伝えるのだから、承認を目的にするのは当たり前。
承認は承認する者が主体でされる者が客体、これも当たり前。
そしてデモ参加者が100%運動の承認欲で、個人の承認欲がないなんてこともないでしょう。
不可分にある。
個人であり運動でありデモンストレーションする。いいじゃないですか。
先人たちが怒りの声を上げているのは、
「先人の存在を否定する主張」があったからでしょう。
いなかったことにされる、なかったことにされる、
それがどれほどの仕打ちであるか、ちょっと考えればわかるでしょう。
被害者はいない。そんなことを言う人はいない。そんな事実はない。
女性がずーーーーーーーーーーーーーっと!やられてきていることじゃないですか。
存在否定は加害である。
そうでしょ?
だからその加害があったことを、まず認めなきゃ。
思い及ばず、存在を否定してしまった、そこは認めなきゃ。
そこからだよ。

