2020年08月01日

脱コルも「先人への敬意」を忘れちゃいけないよね

0730初出

「コルセットに抗ってムチで打たれてきた人」

の存在を否定する発言があった問題について。

※今回はアカウント名を出さないことをご了承ください。
特定アカウントからの発言+脱コル表明のアカウント全体の問題としてです。

脱コルが盛り上がってきたのはとても喜ばしいのだけど、
「目覚めた」高揚、「共にある」高揚、「一歩を踏み出せた」高揚、
そこに、
「先人が存在していることに気づいていない自分に気づくこと」
が必要なんじゃないかと思う。

先人の存在は考えもしなかったことで、
その、考えもしなかった無自覚の存在否定が、
当事者からの声としてあがっているのだから、
自分が無自覚だったことをちゃんと認識して、敬意を払う。
それは必要なことで、するべきことでもあると思う。

先人を無自覚に存在否定していたことも、
自分がマクロで先人を圧迫する勢力の一端であった構造の事実も、
それらを認識するのは愉快なことではない。
知らずにいたいことだと思う。

でもそれはダメだと思う。
自分が楽しく、気分よく、「勇気ある素晴らしい行動をしている」と感じていたい、
を優先して先人を踏んでいたら、公正性を自分で毀損することだろう。

先人からすれば後から来た人が(マクロでの圧迫を度外視したとしても)、
先人の存在否定で「ワレワレの新天地」として旗を立てるのは、
そりゃぁやっぱりやりきれないと思う。

2019年01月03日
保守コルセットの皆さん、実践できなくともせめて曲解やめて
http://lttlleo.seesaa.net/article/463491218.html


脱コル写真をあげることについても、
(先人以外には)よいことだろうと思うんよ。
勇気づけられて、自分も!と思う人を増やす効果があるだろう。

でもね。

「レーンに載せられ走らされる」は被害であると同時に
「レーンを拒否して走らない人」を場外に周辺化することでもある/あったのだし、
「レーンに載らないから降りる行為が発生しない人」が最も正しいのに
「レーンを降りた!」で盛り上がるのは・・・問題があるでしょう・・・

これってごく普通に
「真面目にやっていた人が、真面目にやっていたことを素通りされ」
「不真面目だった人が、不真面目を改心した宣言で称賛される」的な話では?

「放蕩息子の帰還」。

真面目に働いていた兄に父が「お前はすでに祝福されている*」なことを言うのは、
父が兄を正当に扱わないことの正当化だと思うよ。

「神の子羊」思想は「君主と下僕」に都合がいい
http://lttlleo.seesaa.net/article/473346759.html

*ケンシロウの不吉な予告みたいだな

先人への存在認識と敬意さえきちんとあれば、表明があれば、
脱コル写真をあげるのは「デモンストレーション@SNS」で意味ある行為だと思う。
デモだってデモンストレーションですよ。
デモ行進は「デモンストレーション@公道」ですよ。

表明し、認知され、主張を伝えるのだから、承認を目的にするのは当たり前。
承認は承認する者が主体でされる者が客体、これも当たり前。

そしてデモ参加者が100%運動の承認欲で、個人の承認欲がないなんてこともないでしょう。
不可分にある。
個人であり運動でありデモンストレーションする。いいじゃないですか。

先人たちが怒りの声を上げているのは、
「先人の存在を否定する主張」があったからでしょう。

いなかったことにされる、なかったことにされる、
それがどれほどの仕打ちであるか、ちょっと考えればわかるでしょう。

被害者はいない。そんなことを言う人はいない。そんな事実はない。

女性がずーーーーーーーーーーーーーっと!やられてきていることじゃないですか。

存在否定は加害である。

そうでしょ?

だからその加害があったことを、まず認めなきゃ。

思い及ばず、存在を否定してしまった、そこは認めなきゃ。

そこからだよ。


posted by Erin at 00:00| Comment(0) | 脱コルズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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