脱コルは非コルに「そうできなかった自分」を見るから否定するんじゃない?
● 4Bの「非」を「脱」で実行するような
● 脱が非にマウントしている感
● 先駆者を「途中参入」って失礼が過ぎるのでは
● 脱炭素 脱搾取 脱消費
● うっすら馬鹿にしてきた「変人/世捨て人」をなぞっているのを認めたくない
● 自分の加害性を認めたくない もあるよね
● 自己愛とエゴを直視しなよ
脱コルも「先人への敬意」を忘れちゃいけないよね
http://lttlleo.seesaa.net/article/476583565.html
● 4Bの「非」を「脱」で実行するような
4Bは「非」。
「既」の人が4Bを理解して「脱」するとする。
「離婚しました!」
「私も!」「私も!」「私も!」
離婚者が非婚者を指して
「非コンは脱コンではない」。
そら道理としてはそうだ。
しかし現状は
既婚者が「脱コン」で盛り上がり、
非婚者が【性規範に取り込まれることなく、抗ってきた】事実を
「脱コンではない」の言葉で【切り捨てている】感がすごくある。
● 脱が非にマウントしている感
非で来た理由(推測)
「しないのが本人にとって楽だったからしなかった(外圧別途)」
「しないのが本人の思想だったからしなかった(外圧別途)」
いずれにしても【外圧に負けず、自分優先】を貫いた、と自分は理解する。
脱コル勢が非コルを軽視、否定、特別な状況の例外扱い、
等々をする現象が見られる一番の理由は
【外圧への保身をしてきた自分】を認めたくないからでは?
● 先駆者を「途中参入」って失礼が過ぎるのでは
ある意見。
脱装飾を「外的脱コル」、
脱道徳を「内的脱コル」、
と理解して、
外的脱コルを教養課程、
内的脱コルを専門課程、
非コルは外的脱コルが不要だから専門課程から編入する ※この三行は自分による喩え
みたいな考え方で「途中参入」と表現したことは数回読んで理解した。
※この「外的/内的」については、
装飾も言動も「行動/内心」が必ず両者ともあるので、自分は同意しない。
自分が初見で「ええっ!」と思ったのは
「非コルが脱コルに途中参入=脱コル運動が始まってから遅れて参入」に読めたから。
実際、そう読む人はかなりいると思う。
それで、解釈通りだとしても、
「4年制脱コル大学」があって「専門課程に編入」な発想が、やっぱりおかしいと思う。
なぜか。
非コルを「これから内的脱コルをする人=内的コルの人」に想定する発想だから。
非コルを「脱」の回路で存在を定義する発想だから。
※「発想」がこちらの推測であることは自覚しています。
これって
「オスが女性を定義する」にも似た暴力性があると思う。
● 脱炭素 脱搾取 脱消費
大きな家、車、たくさんのモノ、資源消費、モノに溢れた住まいと暮らし
を
小さな家、車なし、少ないモノ、少ない消費、モノが最小限で整った住まいと暮らし
に
に変えられたら、そりゃぁ高揚するし自己肯定感も高まるし自信を表明したくもなるのでは?
この、自己顕示欲、承認欲がわりと強くある感じなのは、
元が「大きな家 以下略」を指向していたことと関係があると思う。
それで、ワクワクしながら表明するとするじゃない?
そこに「初めから小さな家 以下略」の人がいると、
そのワクワク感が、しゅーっとしぼむ感じがするんじゃない?
「初めから」の人が真に正しい、というのは直感的にわかっていて、
「間違いに気づいて、遅れて正しくなった自分」は相対的に価値が低い、的な。
● うっすら馬鹿にしてきた「変人/世捨て人」をなぞっているのを認めたくない
こういう感じはあると思う。
ここは! 腹をくくって! 自己愛の我欲執着であると認めて!
先人に素直に敬意を払い、遅れてきた自分を遅れてきた自分として、認める!
それしかないと思うよ?
● 自分の加害性を認めたくない もあるよね
洗脳されてそうとは知らず/保身でそうとは考えず、
とにもかくにも自分が圧の側に入っていて、圧に加担してきた、
そこを、認めたくないんでしょ?
想像がつくよ。
ナタリストたちがモロそうだもんね。
それを反ナタリズムの人たちが猛烈に批判してたよね。
その反ナタの人たちが、
反ナタの文脈からこちらが展開した家族社会学の問題を、
真面目に取り合おうとした人がほぼほぼいないんだもんね。
反ナタに姉が多いと推測され、
姉の妹である反ナタも社会的姉の優位性、権力性で沈黙してきたのと同様に、
その中でやっと上げた声に同意を示すことすら、ほぼほぼしなかったもんね。
カテゴリ:Fismと家族社会学
http://lttlleo.seesaa.net/category/27517679-1.html
みんなさぁ、保身に走りすぎ。
ネットだよ? SNSで自分の意見を言うくらい、何だと言うの。
何のためにSNSやってるの。
● 自己愛とエゴを直視しなよ
正直に、包み隠さず言うとね、
今、ネットで自分が信頼できると感じる人は、本当に数えるほどしかいない。
「いちばん弱い子ども」の視点で主張しているはずの反出生からすら、
「いちばん弱い末子妹」の視点に反応が出てこない、黙殺する。
「自分の幸福のためのフェミニズム」と他人を批判できる理由を知りたい。
他者評価を気にする「保身とエゴ」以前に、
自己像を美化していたい「自己愛とエゴ」。
そこにちゃんと向き合うべきじゃないの。


私には辛すぎることがあり、長子姉の私が末子妹のあなた様に伝えきるには、まだ的確に文章化できていません。
今とても過酷なので、文章化できるかどうか時間も自信もないですが、出来たら、このブログかTwitterで発言したいと思います。取り急ぎご連絡でした。
正直、この視点は奇妙に感じました。
私の視点から一つ言えるのは、「自分の現場」に立って一人一派のフェミニズムをやっている人はまず自分の現場の問題に向き合う必要があり、それを行う事が自己愛で誰かを黙殺する事とは言えないと思います。
それに反ナタに姉が多いと仮定するならば、機能不全家庭の被害者に長女が多い事から共感に数が集まりやすいのは単に現実の被害数の問題がある。これは機能不全の片親家庭で母親と妹を養うために学生時代から売春に手を染めた姉がいたり、親の介護で長女が引っ張りだされ生活を壊されたりと現実に本当に色々あるからですよ。
末子妹が姉ほど家族関係から被害を被っていたなら「これは自分の現場だ」という末子妹からの共感の数でその界隈からの“権力”とやらを得られたかもしれませんが、そうではなかった。そこにそれだけ数がいなかったのではなく、社会的圧のためにいるはずの当事者が声を上げられないからというなら、「末子妹は当事者として声をあげろ」と鼓舞してはどうでしょう。それなら理解できますし共感できる。
多数者が権力と自己愛で末子妹を黙殺している世界が悪いと言うのはさすがにひどい視点です。
それこそ自己愛だけじゃないですか。
>正直、この視点は奇妙に感じました。
はぁ。「構造を理解しません否認します宣言」ですか。
それと。「姉妹の妹・末子妹の視点からの家族社会学」に言及するなら、自分の位置を表明するのが筋です。まぁこれほどの読めなさと頓珍漢を開陳しているのだから、末子妹でなさそうなことは確実ですが。
>機能不全家庭の被害者に長女が多い
兄と妹では妹が長女かつ末子妹ですけど、そういうこときちんと考えて言ってます?
姉と弟での姉の被害が、姉の妹たちへの抑圧として作用していることも書きましたが、読んでます?理解してます?
こちらが書いていることを全然理解していないしする気もないことは伝わってきます。
>共感の数でその界隈からの“権力”とやらを得られたかもしれませんが、
いちいち投影で下衆な思考回路を漏らさなくて結構です。
>多数者が権力と自己愛で末子妹を黙殺している世界が悪いと言うのはさすがにひどい視点です。
その「多数者」って「姉たち」ですよね。ちゃんと「妹の姉」に限定してます?
それに「妹の姉と、姉の妹で末子」の考察なのだから、末端である後者が必然的に少数になる。
そのことも理解してます?
その上で、「被害と認知されない被害は表に出てこない」。
一例、「毒親」の概念が母性神話で否定され子の被害が否定されてきた経緯を、まさか知らないんですか?
考察は【強者に対して】「気づけよ」であって、
そこで【弱者に対して】「鼓舞してはどうでしょう」って、何言ってんですか。
オスがやる「女性はもっと声を上げるべき」のクソにそっくりですよ、少しは恥じなさい。