2020年08月02日

脱コルと非コル、H4BがLを「4Bじゃない」と言い放ったらどうよ

これまで書いている通り、
自分は「脱」と「非」を【今までの状態】で捉えている。
動機はあまり重視してこなかったし、
今回議論が立ち上がって非装飾者の意見を読んで、一層そう思っている。

脱コルが「他者には見えない内面」を最重視するのであれば、*1
チンセリズムと同じ回路だ*2、の指摘に大いに同意する。

*1 論としての仮定
*2 文言は別表現

それで、非コルも脱コルも、4Bに寄っている人たちだと思う。*3
今現在の現実としてどうかとは別に、心的に。

*3 自分について言えば、元々コル度が薄め少なめ、今はさらに薄い、が現状報告。
脱コル賛同者だけどツイッターの脱コル実践者たちをそうであるとするならば、
やっぱり自分は周辺的な位置になる。

そこでだ。
脱コルから出た非コルへの発言(暴言と言っていいと思う)は
本質的にはこれと同じである。

ヘテロ女性が男と恋愛セックス結婚生殖を拒否するのは社会的反発で、
レズビアンが男と恋愛セックス結婚生殖を拒否するのは社会的反発ではない。
Lの4Bは4Bに非ず。

酷くない?

4Bの発祥、理屈としてはそうだけど、
Lが家父長制とその化粧(ロマンチックラブイデオロギー)の圧力に無縁だとでも?

Lが自分の心に従うのは個人の動機だとしても、
「女性(H前提)の性規範(家父長制の奴隷)」に
「従わない女性が存在すること」は大きな意味がある。

※念のため。LをHの道具的な意味で言っているのではないです。

ラディフェミから度々「Fはその内面に関わらず身体で差別される」の指摘があるように、
ラディフェミならその視点を貫かなければおかしい。

元から装飾をほぼしなかった/装飾を楽しんでいた
どちらもオス社会から「装飾しろ圧」を受ける。

元からオスが性愛対象でない/ロマンチックラブイデオロギーに染まっていた
どちらもオス社会から「家父長制に取り込まれろ圧」を受ける。

「外からの圧」は「個人の内面」で変化しない。

あ、今わかった。

脱コル勢は「葛藤」を訴えたいんだ。

「非コルに装飾を捨てる葛藤はなかった」
「Lに性愛対象を捨てる葛藤はなかった」
(私は葛藤して、苦しんで、決断して、手放した)

こういう気持ち。

あると思う。

自分もHだから(洗脳されてHになっていたから)、
それまでのHへの指向がぜんぶ、ぜーんぶ!虚構で罠で屠畜情だったことに気づいた衝撃、
「信頼や愛情愛着といったものを性愛こみで寄せる対象」が瓦解し霧散したことの喪失感、
感情と行動の膨大な総量が、すべて無意味な費やしであったことを認めざるを得ない無念、
これらの大きさは到底一言では言えない。

2020年03月30日
異性愛者も「対等な結婚」ができないのは同じ
http://lttlleo.seesaa.net/article/474334107.html
自分はLが羨ましい。

LにはLが受ける理不尽がある、それは認識している。

でもLが男性を「初めから恋愛対象外」であることが、
「男性と恋愛するものだ」という洗脳を拒絶できたことが、

女性が男性と親密な関係を望み、信頼関係を築こうと、
努力し、配慮し、譲り、受容し、受忍し、あらゆる感情労働を重ね、
どれほどの搾取にあってきたのか、それを考えた時、

そんな徒労に自らを投げ込み、浪費しなかったと思われることが、

自分は羨ましい。



「苦しんだ私、苦しんで手放すことを決断した私、実行した私を、認めてほしい」

これが大きいんじゃないかな。

あ、またわかった。

「私の苦しみを、存在否定されたくない」。

ここまで来ると、脱コル/非コル、H/L、Fみんな同じじゃないかな。

脱は脱の、非は非で来たことの、
HはHだから手放すことの、LはLで来たことの、
それぞれの苦しみを、それを経験しなかった人にも知ってほしい、尊重してほしい。
なかったことにしないでほしい。

やっぱりFは同士だよ。

感情を、奉仕を、貢献を、自己犠牲を、服従を、
当たり前にされて、省みられることがなく、存在しないものとされる。

その無念。

ただそこでね、
多数少数で声の総量が違い、それにより声の出しやすさの違いが出てくる。

自分は多数派にいるんじゃないか?
だとしたら少数派の声を聞いていないのではないか?
そういう自戒が、多数派に必要なのだと思う。

脱コル非コルの件で言えば、
脱コルが非コルに対してマジョリティだから、
非コルへの敬意と尊重を忘れて(忘れてしまえることがマジョリティ)、

「手放す苦しみ(必然的に過去への否定を伴う)」をそれとして表現すればいいものを
「非コルは脱コルとは異世界の人」を始めとする周辺化をやったのだと思う。

いやほんとにね、手放す苦しみって、・・・・
これを書きながら、涙が出てくる。

それで、
脱コルが「非コルにはない苦しみを非コルにわかってほしい」になるとしたら、
それは否定する。
マジョリティがマイノリティに理解を求める、ここに暴力性があるから。

脱コルは非コルに向かって承認を望むのではなく(望んだと断定しているのではない)、
自分の感情を掘り下げて行って理解する、それを表現したかったらする、
やることはそれだと思う。


posted by Erin at 00:00| Comment(0) | 脱コルズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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