2020年10月07日

てんとうむし:「TwitterのFF」「ある人物(Aとする)」「マギー氏」

てんとうむし:篠田編集長にも似た「加害者への親和と当事者性の否認」が漏れている
http://lttlleo.seesaa.net/article/477762991.html
てんとうむし:直樹/マギーと「女性初×一対一」で会った理由は何ですか
http://lttlleo.seesaa.net/article/477761426.html

● 「TwitterのFF」「ある人物(Aとする)」「マギー氏」
● 報道が「お墨付き」を与えたのに
● 中・はてことの比較

側近中の側近のパターン
・最後まで忠誠
・離れはするが信望という依存が続く
・裏切られた感で完全対立
・教祖を踏んで自分が台頭

だいたいこの辺りだと思う。
てんとうむしは2番目に見える。

● 「TwitterのFF」「ある人物(Aとする)」「マギー氏」

てんとうむしは直樹を絶対に本名で呼ばない。

直樹が名乗りに強い拘泥を見せ、
過去の本名・過去の芸名・ネットの自称・偽名等々を
都合よく使い詭弁を弄することと、奇妙な一致を感じる。

「純白のムーミン」と「青のジャミラ」
http://lttlleo.seesaa.net/article/477744850.html

篠田が「本人の希望に応じていつもナオキと表記し、そう呼んでいた」ように、
てんとうむしの表記は「直樹の希望」が伝えられているか、
少なくともてんとうむしの側に「直樹への忖度」がある。

しかも篠田が使い続ける「ナオキ」は悪質ではあるが「現実の直樹」を指すのに対して、
てんとうむしの表記は「ネットHNでの、HN伏せ、仮名、HN」である。

てんとうむしが言及する直樹は
「あくまでもネットで接するアカウント主」に留め置かれているのである。

告発の方向性は始めから
「マギーの過去は性犯罪者」でなく
「性犯罪者がマギーとして」である。

再逮捕の報道とくに文春により、
「赤松/二階堂直樹が」として語る人*が多くなったのに、
「マギー氏が」を語りの起点にし続けるてんとうむし*は、おかしいと思う。

*表記以上にスタンスとして。




「TwitterのFF」、「ある人物(Aとする)」、この期に及んで「マギー氏」である。

阿部氏も「マギー氏」と直近でも書いているが、
阿部氏は「実名顔出し」での発信と証言をしている人であり、
自分は表記単体の「マギー氏」を言っているのではない。

ぐだぐだとマギー寄りを開陳している人がそれだから、「最後の一押し」なのである。

● 報道が「お墨付き」を与えたのに

直樹の再逮捕報道は「マギーが直樹だった証拠」が出たというよりも
※文春の記事内容は多くの一致を提示している

「多くが思っていた直樹マギー」を
「直樹を今現在の性犯罪者として伝えた報道」により
「直樹を今現在の性犯罪者で再犯者」として扱うことにお墨付きを得て、
「性犯罪者直樹が演じたマギー」として【安心して】扱える、批判できる、

というものだと思う。

とても簡単に言えば「安全圏から批判できる」感。

てんとうむしは「ナオキマギーの信頼を担保した第一人者」の後ろめたさはあるにしても、
自分を「騙されて加担させられた被害者」とすることは十分可能である。
プライドが「騙された」から目を逸らせるかもしれないが、
自分を正当化したいなら「騙された被害者」が最適解である。

しかしてんとうむしはそれをしない。
超長文ツリーツイートでぐだぐだぐだぐだぐだぐだ、法的な正しさを論点にする。

● 中・はてことの比較

中もはてこも、直樹マギーを「安心して批判できる」流れに乗って過去を改竄。

中「ビールが私で」→「空き時間にカフェで一、二時間お話」
http://lttlleo.seesaa.net/article/477656632.html

中はこれだし、はてこも酷い。

くたびれはてこ 歴史改ざんが酷いが、他人をさらっと売るのがさらに酷い
http://lttlleo.seesaa.net/article/477778211.html

会わなかったはてこがこれで、

会った中ですら
>相手をできうる限り「自分にとって価値がない存在」にする表明
をしているのに、

てんとうむしにはそれがない。


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