● でみあんには「強い確信」があるでしょ
● 真相は God knows
● 「客観的証拠」を強調しすぎる
直樹がもし「一蓮托生」を図るとしたら、
十分な探りと予測を重ねた上で最終的に、
自分の正体を明かすのは「対面した時」にすると思う。
第一に、文字で伝えると文字で残る。
第二に、相手は対面で知らされたその瞬間に「知った」になり、かつ対面している。
「会った事実」があり、個人の連絡先を渡しており*、顔を見られている。
期待通りの反応が得られなかったとしても、脅迫することが容易だ。
*直樹は2017年3月に「性被害の告白がDMで届き、電話に切り替えて5時間」とツイートしていた。
自分は嘘だと思うが、直樹から「電話で話す」がさらっと出てくるので、
対面するような相手とは電話もしていたのでは。つまり「相手の電話番号を知っている」。
しかしそれらはあくまでも「一応の保険」で、
「狙い通り進むだろう見込み」を得てのことだと思う。
● ナオキマギー告発後の表明再考
追記再掲:てんとうむしとarima 弁護士先生は保身の見本ですかね
http://lttlleo.seesaa.net/article/467925970.html
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生きてます。(何をどう考えたらいいか、どう言ったらいいか、わからないことがあって、言葉が出てこないでいるのですが。)
てんとうむしはこのツイートを削除している。
この表明は「私の状態」のみで「告発とその内容」について全く触れていない。
通常は「告発の内容を知ってのショック」に読むだろうしそれを意図しているだろうが、
「告発され明るみに出たことのショック」も否定できない。それを否定する要素は書かれていない。
私がTwitterのFFと会ったことで、誰かに「ladybugが会ってるなら大丈夫だろう」と思わせてしまったとしたら、それは私が軽率に過ぎたと、省みています。
— ladybug(てんとうむし) (@ladybug66890347) June 6, 2019
そのような思いをさせてしまった方にお詫び申し上げます。
>それまで想像もしなかった内容
が「マギーはナオキ」であるとは限らない。これも予断だ。
仮定
「ナオキ」であることを知っていたが、
「マギー」があんなツイート(セクハラキモリプ、過去チラ見せ)をしていたこと、
それを集積して証拠として突きつけられることを、想像もしていなかった。
成立するでしょ。
● でみあんには「強い確信」があるでしょ
「マギーの正体を知っていて懇意にしていたオフ会参加者」
を、でみあんが何度も何度も何度も主張しているのだけど、
当然「誰」を、でみあんは考えているよね。
でみあんが挙げる条件で残るのは
紙魚エビ。
シュナムルが対面していたと思わせていたものを「オフ会」と呼ぶのは違うと思う。
シュナムルがarimaの紹介で!としつこく責任擦り付けをしていたのは、
でみあんの主張が影響したか?
オレより先にarimaが!arimaのほうが!が意図?
しかしarimaはオフ会参加者としては後のほうだし、紙魚エビもそれは同じ。
※「北陸オフ会」であるように、地理的条件。
表立っての擁護の有無よりも、「早期から対面×親密」が重要では。
そもそも「知って黙っていた人」なら「表立っての擁護」は避けるでしょ。
でみあんは
「早期から対面×親密だった人」を
「そうでなかった自分」が糾弾しているんじゃないの。
つまり、でみあんも、てんとうむしを念頭にしているんじゃないの。
● 真相は God knows
直樹とてんとうむしへの自分の疑いに対して、
直樹とてんとうむしだけが答を持っている。
自分の疑いは総合的に考えあわせての疑いであって断定ではない。
自分は断定する証拠を持たないが
直樹とてんとうむしも
疑いを否定できる証拠を持ってはいないだろう。
しかしこれを書いて今また疑念が増えた。
● 「客観的証拠」を強調しすぎる
てんとうむし:直樹/マギーと「女性初×一対一」で会った理由は何ですか
http://lttlleo.seesaa.net/article/477761426.html
>「証拠はあるのか」と言われたとき、私自身が持つ証拠が、自分自身の供述(自分の記憶や知り得たことから自分はどう推測するか)以外にない、
>証拠(特に客観証拠)になり得るものを持たなかった
>私は自分の供述以外に証拠(特に客観証拠)を持たない
>客観証拠を持たない人たち
なんか。「供述」を軽少化して「客観証拠」をここまで強調するのって。
「証拠は出てこないんだから、逃げられる」
が本心にないと出てこない気がするんだけど。
しかも
客観証拠を持たない人たちが、それでも警告を発したいと、
できるだけの証拠を集めようとした(複数人の供述を積み重ねる形で)、
それに基づいて警告を発した、という尽力を→糾弾しようとは私はとても思えず、
客観証拠を持たない人たち とすることに漂う脱価値化と貶め、
尽力に連結させるのが糾弾 の発想が露呈する、糾弾したい本心、
と自分は感じる。
自分の個人経験から事例
「期待させたとか無責任とか責めたい気持ちはなくて」
「期待させたとか無責任とか責めたい気持ちがある」だろ!!!!(怒)
「責めたい」を否定のポーズで表明しなおかつ
「責めたいけど責めないでいるんですよ」ポーズで恩着せ、実に度し難い。
てんとうむしの「糾弾しようとは」にはこのデジャヴを感じるのですよ。
自分が想像するてんとうむしの本心
「やめてよ、供述を集めて証拠にしないでよ、やめてやめて」
なぜかと言うと
「自分は知っていたから」。
「自分だけが知っている」であったことに疑問が及ぶことを恐れるから。
想像ですよ。「客観証拠」はない。

