2020年10月15日

ナタ母は自分は家父長制に加担し、娘たちに闘わせる

● 脱コルズによる「母批判」
● 「母の毒を認めたくない」?
● 「自分が闘わず加担して、産んだ娘に闘わせてせている」
● 過酷な環境の中に生まれさせられる子
● 「私には夢がある。いつの日か」
● 「なんのために生まれて」
● エゴでない幸福追求

● 脱コルズによる「母批判」


>オスの履いている下駄

「母がオスに下駄を履かせている」のを目の前に見ているのに、
「男尊女卑強化の加害者の透明化」をなぜここでする。


ツイ主の母である女性が結婚し子を生んだ結果がこれ。
長子 男児で第二子への加害者
次子 女児で年長男児の被害者

※男児女児:出生時を起点とする視点としての表記。

父が元凶なのは当然として、

1.ツイ主の母である女性が結婚し子を産んだのは事実。
子の立場からの「発生させるな・生殖するな」にならないのか?

2.長子息子に殴られる次子娘に「加害の合理化」の二次加害をする。
なぜ「どうなんだろう」などとぼんやりしたことを言っているのだろう。
母が「息子は父の被害者だけど、娘の加害者」と事実そのままを言うべきと、
なぜ明確にしないのだろう。

そしてツイ主自身が間違った合理化をしている。

>育てられた過程であった性差



>兄が長男として厳しく育てられた

の、むしろその「先」だ。

ツイ主が長子長女で、怒鳴られ殴られていたら、
その結果ツイ主が弟に暴力を振るうようになった、か?

妹への兄の暴力を、父も母も止めず、母は合理化の二次加害をするのだろう?
弟への姉の暴力があったとして、この父と母は同じ態度をとるか?
ないだろう。

つまり、
兄が「オス由来の腕力と暴力性」があるにしても、
兄に「オスの暴力を容認させる社会」があり、
妹に「オスの暴力を受忍させる圧力」がある、

そこに、母が加担している。

暴力性の強いオスと番い、産んだ息子は遺伝と環境の両方で父オスのコピーとなる。
父オスからの遺伝を持つ男児を生み、女児をその被害者にしていること、
遺伝と環境で男児を暴君にし、女児に二次加害していること。
両面で、母が子への加害行動をしている。

なお、ツイ主は父母兄からの被害者であるが、
兄も発生させられなければ、父オスの暴力の被害者になることはなかったのである。

子を発生させるならせめてせめてせめて、父になるオスの人間性を吟味して決定すべき。
吟味したところで「マシオス=マシゴミ」に過ぎないが、せめて。

● 「母の毒を認めたくない」?

脱コルズが脱コルに走るのも
そもそもは男尊女卑の社会に彼らが生まれさせられたから。
彼らの母が彼らを産んだから。

母が結婚出産したのは「それが当然」で「追い込み漁」で
だから母に咎はなく云々・・・

いや別にね、各々の母個人を責めろと言っているのでなくて、
「生まれさせられた結果、家父長制と闘っている」のは事実でしょ。

と、書いた瞬間、また到達。↓

● 「自分が闘わず加担して、産んだ娘に闘わせてせている」

生殖という再生産が、そうなっている。
「女性が存在を容認されるために、オス社会に子を献上する」←モロ生贄
「子というトロフィーを掲げて、子を持たない女性に譲らせる」←モーゼ?
「子が将来の労働力で税金と年金を払うことをもって、驕り高ぶる」←鵜飼?

母たちが「そのつもり」で産んでいるとまでは思っていない。
「自覚して、意図的に」ではないだろう、
「無自覚に、とはいえ薄々わかってはいるだろうから否認込み」とは思う。

「男尊女卑の家父長制に、自分は加担し、娘に闘わせる」が、
「自覚して、意図的に」あるとはまさか思わない。
しかし【事実として】そうだ。

● 過酷な環境の中に生まれさせられる子

ユニセフが支援対象にするような子どもたち誰もが
【この状況に生まれされられたことの不幸】
を持たされて生まれさせられている。

生殖するな。これに尽きる。

無論「元凶オス」である。
それは無論で、子の視点で「生殖するな」がFA。

内紛が続く地域での、男児と女児の不幸も性別で明確に分かれている。
男児 少年兵 志願はあっても志願でない、誘拐拉致からの兵士で捨て駒
女児 性奴隷 性暴力で生まれた女児がまた性暴力の被害 の報告あり

戦争がない国でも、実は大同小異では。
男児 大半が歩兵いいとこ軍曹程度 ホモソ支配社会のカーストとして
女児 説明不要

社会を変えず温存させて再生産。

するな。

それしか言うことないでしょ。

● 「私には夢がある。いつの日か」

マーティン・ルーサー・キングがミソ煮こごりのオスであり、
ゴミソが言う「私たちの子どもたち」には偽善しかないのだが、
ただちょっと思ったこと。

差別社会で被差別者たちが
「私たちの子どもたちは差別されるのだから、生殖しない」
を選択したら、被差別の属性を持つ人たちはいなくなる。

ユダヤ人差別の社会でユダヤ人が、
先住民差別の社会で先住民が、
「自主的な民族浄化」になってしまう。

しかし「生まれさせられる子」からすれば、何の関係もない。
「発生していない存在は生まれたがりません」。

「我々を存続させたい」は普遍的な願いだが、それはやはり
「既に存在している者たちが、未来未存にバトン()を押しつけるエゴ」では。

● 「なんのために生まれて」

「大いなる意思」みたいなそういう合理化はやめよう。
「親が生殖したから」。

「生きる意味」は
「生まれさせられてしまったから、何か意味づけをしたい」による合理化。

● エゴでない幸福追求

「生まれさせられてしまった人」の生き方としては、これに尽きるのではないですかね。

「エゴ」の捉え方は従来と反生殖ではまったく違って、
「親に孫を見せるのが親孝行」だの
「次世代につなぐのが社会の一員」だの
いやいや、それこそがエゴですやん!

エゴでない範囲での快楽追求、趣味とかね。
エゴでなく女性みんなのためのフェミニズム。


posted by Erin at 00:00| Comment(0) | 脱コルズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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