2021年02月16日

聾が遺伝すれば同じ苦労、遺伝しなければCODAの苦労

● 遺伝性の聾が遺伝する確率
● 遺伝しなければCODA
● CODAが幼少から親の手話通訳者にされてしまう問題
● CODAが「聾文化・聴文化」のはざまに陥る問題
● 映画「ビヨンド・サイレンス」
● 聾が遺伝した子に親が聾文化を選択させるエゴ
● まとめ


● 遺伝性の聾が遺伝する確率



遺伝する確率が50%というのは、
親の一方から子に遺伝する確率のことか?
AOとAOからOOになる確率は50%、
AAとAA/AOからOOになる確率はゼロ。



● 遺伝しなければCODA

CODA : Children of Deaf Adults

五十嵐大 @igarashidai0729
https://twitter.com/igarashidai0729
両親が聴覚障害者のCODAです。

彼がCODAであることをどう思っているかとは別に、
CODAにはかなり大きな負荷がかかる。

※成人しても親子関係としての子であり続ける意味で、成人してもCODA。
この記事では「子ども」であるCODAについて。



● CODAが幼少から親の手話通訳者にされてしまう問題

以前、CODAを取材した海外ドキュメンタリーを見た。
CODAのためのサマーキャンプがあり、
参加者のCODAたちはそれを本当に心待ちにしていて、再会を喜び、
キャンプの終わりには再会を約束して元の生活に戻っていく。

あるCODAの女の子の、家族との様子。
母親がすぐ娘に「今なんて言ってるの?皆何を話してるの?」と尋ねる。
娘は手話で伝えるが、彼女はおしゃべりに集中したい。
それに母親が通訳を求めて分断する。

こういうことが日常茶飯事で、さらに、
CODAは幼いうちから年齢に不相応な内容に通訳として参入させられることが多い。
年齢制限の話ではなく、親の責任の範疇であり子が負わないはずのこと。

親も周囲も、CODAに親の窓口・助手を期待するし実際やらせる。
CODAは幼いうちから「家庭内無償×児童労働」をしているのである。

そしてそれをCODAは嫌だと言えない。言えると思うか?

CODAのキャンプでCODAが水を得た魚のように生き生きしているのは、
CODAの本音を吐きだせて、親の窓口・助手から解放されて、子どもが子どもでいられる、
息を吹き返す貴重な日々だからだと思う。

● CODAが「聾文化・聴文化」のはざまに陥る問題

聾の親がいない場でも、CODAはコミュニケーションに負荷がかかる。

2019年03月26日
聞こえない親と聞こえる子ども その1 コーダの可能性<研究者インタビュー>
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/196/
聞こえない親と聞こえる子ども その2 コーダの悩み<研究者インタビュー>
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/197/

● 映画「ビヨンド・サイレンス」

ビヨンド・サイレンス(1996年、ドイツ)
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=30978
ろうあの両親を手話で助ける8歳のララ(タティアーナ・トゥリープ)は、学校の成績はイマイチだが頭がよくしっかり者の少女だ。

しっかり「させられる」。

ある時、ララは父マルティン(ハウィー・シーゴ)の美しい妹、クラリッサ(シビラ・キャノニカ)にクラリネットをプレゼントされる。ララは練習を始めるやいなや、驚くほどの上達を見せた。しかし音の聞こえないマルティンはいい顔をしない。

父オスのエゴ。娘の才能を伸ばすどころか、潰しにかかる父オス。

18歳になったララ(シルヴィー・テステュー)は、クラリネット奏者を目指して勉強をしていた。そして父の猛反対を押し切り、音楽学校を受験するために

相変わらず猛反対の父を振り切り、再びベルリンへ。そしていよいよ音楽学校の受験の日。試験場の舞台に立つララの前に、何と父マルティンが姿を現した。ララは父が見守る中、見事なクラリネットを吹くのだった。

いい話みたい落着させる筋書だが、父親は「猛反対」してきたわけじゃん。
「ヤンキーの改心」程度の話じゃん。称賛ましてや感動するところじゃないわ。

● 聾が遺伝した子に親が聾文化を選択させるエゴ

親子とも聾で、子が人工内耳が有効そうだとわかっているのに、
親が子に「要らない」と言わせるのを見たこともある。
親は子に人工内耳をつけて聴力を持たせるのを
「私たち聾文化の否定、わが子が聾文化の部外者になる」などと言っていたが、
親子の会話場面がどう見ても「親の圧を子が感じて、親の望む答を子が言う」だった。

● まとめ

CODAが幼い時から親の助手であり続けること、
音の世界を親に遠慮する/させられること、
聾の子が親の意向を汲まされて自分の意思として可能性を捨てさせられること、
こういうことをそのまま考えてほしい。

子に負わせているものは親のエゴである、
と誰かがはっきり言うことは、
子どもたちに対しての責務ではないか?


posted by Erin at 01:00| Comment(0) | 反生殖・生殖カルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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