遊郭の言い分?がそれを導く。
買い入れた女児(児童保護法で18歳未満は児童)を客に強姦させる前に
「お前は畜生道に堕ちたんだと思い知らせる」の一連があるということは、
遊郭視点では商業性奴隷の女児は「畜生(獣)」である。
客の男は「畜生(獣)」を強姦するのだから、
ズーフィリア、獣姦、畜生の交尾、だろう。
本題はこの先。
「性的マイノリティ」とやらのあらゆる他害的性癖・パラフィリアが
ペドフィリア、ズーフィリア、ネクロフィリアほか、
すべて同意が取れない=すべて強姦
であることの、根源、病根、それは買春と呼ぶ商業性奴隷強姦も同じだと思う。
※女性が「誇りをもってセックスワーカー」を自認したとしても、
「女を買いに来る男とセックスしたいからセックスワーカー」の女性はいないと思う。
万が一いるとしたら、その女性がパラフィリアである。
だから、商取引の合意成立とかそういう理屈でなく本質として、
買春とはすべて商業性奴隷強姦なのである。
強姦者は強姦被害者が「快である」「苦痛である」のどちらも願望し消費する。
「彼くん」ですら「女の自己犠牲は蜜の味」なのだから、「女の苦痛は蜜の味」と一続きである。
それにしても以前からずっと謎なのだが、
オスは骨の髄までどうしようもなく、女性を蔑んでいる。
簡単な例では「汚れた女」とか、そういうのが蔓延している。
たとえばそういう「汚れた女」と性交に抵抗がないところが、理解不能なのである。
汚れに触れば汚れる、交われば汚れる、浸かれば汚れる、こういう因果に説明不要でしょう?
オスの蔑視にそのまま乗っても、
オスが「汚れた女」と接触した時点で「同じく汚れた男」になるんですが。
それともオスは全身の皮膚がテフロンと超はっ水加工でできているんですかね。
どんな汚れもさっと一振りで落ちる!とかそういう前提でないと、話が通らない。
しかし
オスは物質的にも精神的にも汚れない穢れないという信念?
があるのだとしても、
「畜生を強姦する畜生」
「獣を強姦する獣姦者」
であることは、行為への指摘として否定のしようがないでしょう。
そして「畜生」や「獣姦者」に「畜生道、外道非道」の非難がセットになっているのだから、
やっぱり「オスは汚れない穢れない」は成り立たない。
やっぱりこれか?
通常、人間は「人間とそれ以外」で認知を分けている。
しかし実のところヒトオスは「男とそれ以外」。
前者の「人間とそれ以外」は「人道と畜生道」みたいなことになるが、
後者の「オスとそれ以外」は「女も畜生も同じ」だから、
オスには「女を強姦」も「獣を強姦」も本質的な違いがない。
なにしろ「女性は人間である」がオスに存在していないとしか思えないことばかりである。
言いたいことは、
「女性を畜生道に落として畜生扱いし、”畜生”を強姦する」が眩暈がしそうな狂気なのだが、
実はオスにとっては
「もとから女は畜生だし、女も畜生もオスの射精と支配に使うのは変わりなし」であろうという、
底なしの「オスって化け物」。
おそらくこんな感じ。
「人間とそれ以外」:犬は「人間ではないが人間に近い、友」
「男とそれ以外」:女性が「人間(男)ではないが人間(男)に近い、エロ他」
2021年02月19日
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