2021年02月24日

「小さな家」は「異議申し立てと美化」の相反に満ちている

● 序あるいは結論
● キャロラインの毒
● 自己犠牲への反発→献身の決意(の美化)と献身(の美化?)
● →結婚に逃避

自分が「小さな家」シリーズについて書くのは
素晴らしい作品群、と全肯定しているからではなく、
「女児の目で描く家族の物語」が必然的にフェミニズム的批評を呼ぶからだ。

● 序あるいは結論

ローラが18歳で結婚するまでを描いた8作品について
言いたいことざっと要点

文筆業で成功していた一人娘ローズとの共同作品
母ローラの覚書に原石を見出し、磨き、世に出したのがローズ。

ノンフィクションとして出版し長くノンフィクションの棚に置かれていたようだが、
実際は「自分の経験と家族の歴史を題材にし、上澄みと美化で作り上げたフィクション」。

研究書の情報を入れずに作品単体として読んでも、登場人物の人格に問題を感じる。

一言で言えば「アメリカ的聖家族の虚像」。

「田舎の素朴なおばあさんがおばあさんになってから書いた思い出が大ベストセラー」というのも、
「アメリカ的郷愁×アメリカンドリーム」である。

ローラとローズの二人三脚が実現させた大ヒットシリーズであるのに、
ローズは黒子に徹し、作品の名声はローラが独占した。
作品を「素朴で純粋」に見せるイメージ戦略・ビジネス戦略として
ローズが選び納得していたとしても、

自己肯定感の低い娘が正当な社会的承認を得ないことを良しとしたローラに、
「娘の支配者であり続けたい毒母」を感じる。

ローラの「母さん」キャロラインに娘への「良かれの毒」が漂っているし、
ローラからローズでは違う方向で強毒化していると感じる。
この「母から娘への毒」は多分に女性規範によるもので、
「母性という権力の濫用」は「女性規範が女性に唯一与える支配欲の活路」である。

つまり
・「アメリカ的聖家族の虚像」
・「アメリカ的郷愁とアメリカンドリームの合わせ技」
・「毒母の連鎖」と「透明化される男」


● キャロラインの毒

「母さん」は娘に「思いやり」を要求しすぎ
http://lttlleo.seesaa.net/article/475481170.html
● 「小さな女の子は、自分のことばかり考えていてはだめよ」
● 「それでこそ、二人とも、思いやりのあるいい子だわねえ」
● 姉の処世術、割を食う妹、元凶は親と社会

「良妻賢母」は娘に「自尊」を持たせない
http://lttlleo.seesaa.net/article/475495722.html
● 「自分のことばかり考えていてはいけないのよ」
● 「母さん」が、自分のことばかり考えている
● 「ひとの気持ちを考えてあげなさい」

「母さん」も「子に払わせる」
http://lttlleo.seesaa.net/article/475513515.html
この時キャロラインは間違いなく毒母になってる。

結局ですね、
キャロラインのこの一連は、
一言で言えば【自己愛】なんですよ。

自己愛のために、娘を道具にしている。
娘≒自己、他者を拡張自己にしている。

【親である大人のエゴ】。


● 自己犠牲への反発→献身の決意(の美化)と献身(の美化?)

「自己犠牲の規範」は、作品内で母キャロライン以外にも見られる。

「自己犠牲の要求に傷つくローラ」を繰り返し描きながら、
「思いやりがあり、与えるローラ」も描く。

強烈なのは、失明した姉メアリーが盲人大学*に進学できるように働くと決意する場面。

*正規の大学に位置付けられていなかった

「シルバー湖のほとりで」
わたしのやりたいことなど、どうでもいいの。わたしは、よろこんで一所懸命にはたらくわ。メアリーが大学へいけるように…。

「長い冬」の後、ローラは町の洋裁店で働く。
15歳で冬の間別の開拓地で代用教員をしたのを始め、
生徒として学校に通い学ぶことと
教員として別の学校で数か月の有期で教えることを繰り返す。

メアリーの進学費用を稼ぐだけでなく、
進学準備にメアリーの服を何着も母と共に縫う。

メアリーが大学の夏季休暇で帰省すると、
姉が失明した時からしているように音声ガイドを務める。

● →結婚に逃避

15歳から明確な接点を持ち始めたアルマンゾと、
18歳で結婚する。

作品では5歳年上と改変していたアルマンゾは実際には10歳年上だったから、
アルマンゾが早く結婚したかったというのはあるだろうが、
結婚すれば

「シルバー湖のほとりで」
しばらくすると、レナが、リジーは家にいるときよりも仕事が楽になったんじゃないかしら、といいだした。
「とにかく、あの子は自分の家で、自分の用をすればいいんだもの。いまに、赤ちゃんもできるしね」

である。

これにローラ
「(前略)もうしばらくは、母さんに責任をもってもらうほうがいいわ」

「娘」である間は母さんが責任をもってくれる。
「娘」である間は家族を助け、目が見えない姉を助ける。

ローラは「娘の義務と美徳」から逃げ出したかったんじゃない?
結婚相手に「農民以外の職業」を望んでいたよね?

15歳から教員を始めた優秀なローラなのだから、
アルマンゾの姉イライザ・ジェーンのように、独身で教員を続けることは可能だったでしょう。
でもそれでは
「配偶者と築く自分の家族を持たない娘だから家族を助けて当たり前」
にされて、で自己犠牲が続く。
ローラが「従者としての献身」から逃げるには
「夫に仕えるが主婦という家庭の主」になるしかなかったのでしょう。

「小さな家」シリーズの「人形の家」問題
http://lttlleo.seesaa.net/article/475313903.html
キャリーはローラにとって本当に都合のいい存在だったんだなぁと思わざるを得ない。

愛玩する人形、守ってあげる庇護対象、
でも自分が抜けたくなった時に後を任せて抜けられる、
任せたっきり、ずっと負わせたっきりで自分の人生・・・・・・・・・・


posted by Erin at 00:00| Comment(0) | Fismと「小さな家」シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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