https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC
ワイルダー家の金銭的余裕は多少改善されていたが、
ローズがその後の高等教育を受けることは問題外であった。
毒家族に生まれて Vol.8
【後編】~“大草原の小さな毒親” ローラの自己責任論が壊した温かな家庭~
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/g33269483/born-in-wuthering-family-vol8-laura-ingalls-wilder-and-rose-wilder-lane-200715/
ローラは頑なに高等教育を否定していた
ELLEのこの記事は「テーマありき」で偏重をいろいろ感じるが、
上記一行を事実として受け取ると、
あんなに教育熱心だった「母さん」の価値観と、
あんなに勉強好きだったメアリーの向学心を、
ローラの本心は否定している。
理由は容易に想像できるけど。
「聖家族」に過ぎる物語がすでに美化を感じさせるし、
研究者による事実指摘を総合すれば確実に、
ローラは「自己を美化し強烈に肯定したい人」と思われる。
であるから、
「通学は何度も中断、労働で勉強に専念できず、18歳で学校教育終了」の自分を「強烈に肯定」するには「これでいいんだ」を強固にするしかない。
「これでいいんだ」の強固とは「そうでない」への否定、無価値化とのセットである。
ローラがどこまで勉強をしたかったのかはわからないが、
ローラにとって勉強が
「母さんが望む通り教員になる」ために「一所懸命勉強する」
「お金をかせぎ、姉の進学を助ける」ために「教職で稼ぐために一所懸命勉強する」
これらの手段、それも「他者の望みをかなえるための手段」に事実としてなっていた。
たとえそれ自体が好きだったとしても、
意味づけによって嫌いになることはある。
結婚後も困窮が続き、ワイルダー夫婦の経済状態が改善したのは彼らの地道な労働の果てであり、
「高等教育」が彼らの現実に直接寄与したと思わないのはまぁ普通。
そもそも、「学校」が登場する最初が「農場の少年」で、
それも「もうじき9歳になるアルマンゾが初めて学校に通い始めた通学風景」から始まっている。
第1章「学校へいく」
森の中をつっきる長い道を、小さな男の子が懸命に歩いていた。
そのアルマンゾは「学校に行くより農家の家の仕事をしたい」。
冒頭のELLEの記事のおかしいところの一つが、
アルマンゾを透明化していることである。
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/g33269483/born-in-wuthering-family-vol8-laura-ingalls-wilder-and-rose-wilder-lane-200715/
契約のため一張羅をまとい上機嫌だったローラは一転、「ここに100ドル札を隠していたことを人に話していないか、携帯用机で遊んだことはないか」、人前でローズをいきなり責めることに。
身に覚えのない出来事を問い詰め追い込む母の姿にローズは大きなショックを受ける。結局は携帯用机の隙間から100ドル札は見つかるのだが、ローズが受けたショックは相当なものだった。
娘ローズを濡れ衣で責めた妻ローラを、夫アルマンゾは制止しなかったのか?
娘を守らなかったのか?
アルマンゾにいろいろ疑問が湧くのだが、
とにかく、おそらくは多分に生家からの逃避でアルマンゾと結婚したローラの選択と、
そこから続く結婚生活ないし自分の人生を絶対肯定したいならば、
アルマンゾの価値観に同化するのは必然では?
自分の推測としては、
ローラは結婚以前に学校教育に愛憎のようなルサンチマンを抱え、
アルマンゾとの結婚生活で否定感情の強化、「無価値化」が進んだのではないか?

