● ローラとジョー
● 男児に甘い母
● 男児女児が「成功/失敗」の意味
● 「**を可能にするただ一つの方法」
● 「棒好き」の深層
● ナタ女性は全員FT
● 前段
ローラ/ローズに感じる「常に二つに引き裂かれる、葛藤」
http://lttlleo.seesaa.net/article/480545462.html
娘を通して自分が仮想体験して、心残りを成仏させる。
あるでしょ。
だから「娘のために」と思っていても、かなり「私のために」だと思う。
● ローラとジョー
「小さな家」のワイルダーと
「若草物語」のオルコットが
四人姉妹の次女で、次女視点で自伝的小説を書き、
女性規範への抵抗と順応の葛藤があり、
「男の子だったらよかった」が通奏低音のように流れていること、
ほか似通っていることの多さを考えていたところ、
ワイルダーが女児の次に男児を出産するも男児はすぐに亡くなり、
オルコットが独身だったのに反して作中でジョーが男児二人をもうけたこと、
「若草物語」が題でやたら「男」に拘りを見せていること、
Little Women
Little Women Married, or Good Wives
Little Men
Jo's Boys
ここまで見て、はたと気づいたことがある。
男児は
女児だった母の「与えられなかった人生」なのでは。
● 男児に甘い母
女性差別をされない女性は存在せず、
男児男子男性から加害されていない女性は存在せず、
女性はミサンドリーを抱いて当然なのに、
母は男児に甘い。
それは「男児だから」で許され優先され与えられ自由を謳歌できる男児の人生を、与えられなかった女性が、「息子に憑依して男として生き直す」からでは。
男児母が「被害者になりにくい=加害者になりやすい、有利な=搾取し踏む側の、男児でよかった」の暴言を表明するのも、「息子に憑依して被害から加害にまわる」なのだと思う。
そう仮定すると、母が女児に冷淡な理由も表裏でわかる。
● 男児女児が「成功/失敗」の意味
母から「性別の生き直し」としては、
男児は「転生成功」、
女児は「転生失敗」。
もちろん女児を溺愛する母も多い。
女児を「自分が女児として与えられなかった人生のやり直し/与えられた人生の再現」の憑代にすることは当たり前にあって、程度に差があるだけだと思う。
しかしこれは「女児としての生き直し」を図るものに過ぎず、「男児になっての生き直し」とは次元が異なる。
男児を生むことは、0から男児の人生を追体験することになる。
男児のおむつ替えで男児の性器をネタ消費するのも、
「入れ替わりもの」でオスが女子女性の自身の体を「探究」するのにそっくりだ。
書きながら自分でも怖い。
● 「**を可能にするただ一つの方法」
セックスは不変だし、
「男の子だったらよかったのに」と思った女児が
もしセックスをMに転換可能だとしても(SFね)、
女児がそう思うにまでの人生が既にあり、
胎児の性別が男児とわかって移行の男児の人生は決して得られない。
番った男から男の人生を間近で見ても、身内という他者に過ぎない。
ただ一つ、「男に生まれ変わって男の人生」を仮想体験できるのが、
「自分が男児の自分を生む」なのである。
こう考えると、
「普通の」「当たり前の」「女なら誰でも」「しないのがおかしい」とされる出産が、
全て 【 楳図かずおの「洗礼」 】。
生殖が再生産と認知され、英語の「リプロダクト」が再生産そのものであることは、
結局のところ、「自己の再生」で「自己の再出発」で「自己の生き直し」・・・!!
この「!!」は
「なんとなくそうだろうと思ってはいたけど、確定したみたいなことに驚愕と困惑」という感じ。
● 「棒好き」の深層
「ナタが子を拡張自己にしている」という反出生の批判に対して、
「子は私、拡張自己って何を今さら」がナタの言語化されない本心と思われる。
「好きな人(男)の子を生みたい」という願望も、
「好きな人(男)と合体した自分を生みたい」に思われる。
「男児:男児への生き直し成功」になるにせよ
「女児:男児への生き直し失敗」になるにせよ、
「好きな人(男)と合体した自分」の欲望?指向?がある時点で、
「棒好き」が絶対。揺るがない。
「自分が棒になりたい」が根源で、
「棒になる方法は棒の棒(Y)と合体して棒の自己(XY)を生む」。
「女性が持たないYを得て、棒に転生する」。
● ナタ女性は全員FT
フェミニズムは
オスが独占する人間から排除された女性が、
人間の地位を取り戻す思想と運動だと自分は考えている。
人間はみな人権があり、人権は個人に属する。
個人の単位で権利と公平を考えるべきだ。
ナタ女性が頻繁に「埋める埋める詐欺」をやっているのを見れば、
ナタ女性がオスであったならそれが一番良かったのだろうと思われる。
現実の方法として、ナタ女性はオスと番いオスを通してオスから盗品を貰おうとする。
フェミニズムが「盗賊から盗品をもらう」を肯定できるわけなくない?
http://lttlleo.seesaa.net/article/474512059.html
「オス付属の自分さえよければいい」は「オスの自分さえよければいい」の同形で、
エゴ指向=オス指向
エゴ充足指向=オスである指向
この意味で、ナタ女性は全員「オス指向」、
この意味で、ナタ女性を全員「FT」、と認識します。
遠藤まめたが見せるエゴ(なれないオスになったつもりでエゴ驀進)
ナタ女性が見せるエゴも(オスと番ってオス従者としてエゴ驀進)
エゴ指向のオス指向として、本質は同じだと思う。

