● 序
● 「私はしない(できない)宣言」は「した人への加害」?
● 「でも殺すだろ」by ジョーカー
● 「しない/できないことで死ぬことになろうとも、しない/できないだろう」
● 「出産するくらいなら死ぬ」は藁人形でしょ?
● 「いよいよとなったら代理出産をするかも」?
● 「切り捨てて、正しい自分証明」に断定することか?
● 結論
● 序
「自分は売らない」宣言をしているアカウントへの批判が
事実の精査なしの、各自が投影こみでの、袋叩きに見える。
「産むものとされること」に激怒する一方で、
「売るものとされること」に消極的同意を見せるのはなぜですか。
生殖をせずに一生を終える信念の女性が
体を買われることをせずに一生を終える信念の女性を
全面否定することに、正当性があるんですか。
嬉々として結婚し、結婚していることを優越とする女性がいて、
嬉々として性産業の商品になり、それを優越とする女性はいない?
それが理由?
嬉々としてかはともかく、
「特殊例外としての夜職」から大元を「昼職」と対立概念に変質させての、
「昼職」での低賃金従業を「よくやるよね」と揶揄するアカウントを見ますよ。
● 「私はしない(できない)宣言」は「した人への加害」?
仮にそうだとすると、
4Bも反生殖も代理出産否定も、個人の表明としても思想の運動としてもできなくなりますが。
● 「でも殺すだろ」by ジョーカー
バットマンシリーズの「ダークナイト」で、
ジョーカーが二隻の船に乗る人たちに相互の船を爆破をさせようとする。
爆破スイッチを先に押さなければ自分たちの船が爆破されると。
人々は極限状態で爆破スイッチを押さない・押せない。
これを「爆破されて死ぬことを選んでいる」と言うのはおかしい。
「爆破して人々を殺すことを実行できない」であって
「爆破されて死ぬことにしよう」と「死の選択を決意」しているわけではない。
● 「しない/できないことで死ぬことになろうとも、しない/できないだろう」
「~するくらいなら死ぬ」に歪曲して非難している人がいるが、
「それほどに嫌悪している表明として使用され認知される定型」に、
勝手に歪めるんじゃない。
「しない/できないことで死ぬことになろうとも、しない/できないだろう」
まさに前項の、船上の人々ね。
彼らは「スイッチを押すくらいなら死ぬ」と決意しているわけではない。
● 「出産するくらいなら死ぬ」は藁人形でしょ?
絶対に結婚も生殖もしない と宣言している女性は
結婚や生殖をするくらいなら死ぬ を共有し発言しているんですか?
違うでしょ?
● 「いよいよとなったら代理出産をするかも」?
現在は経産婦に限定していることになっているようだが、
私的/裏ルートで未産婦を代理出産に使うケースも既にあるだろう。
自分が身体的社会的に代理出産する層に入るとしたら、
反生殖を強く主張している人も
「いよいよとなったら自分がしないとは言いきれない」と言うんですか?
真面目に、どうなんですか。
● 「私は代理出産をしない」を非難するんですか?
「それを言ってどうなる」は本人が始めから説明してます。
「するものだ、の断定を放置し偏見強化を放置したくない」(要旨)。
「するものだ」への対抗に
「させらるのだ」「させられる人を作るな」は構造論としては正しいが、
「するものだ」の視座では「させればする」、これの肯定にもなっている。
「私はしない」と
「しない人もいる」が
「する」への直接対抗だろう。
● 「切り捨てて、正しい自分証明」に断定することか?
「私はしない・私は違う」が
「他者を踏みつけての浮上」として作用することを否定はしない。
でも、それが目的であるならともかく、
そうでない場合はそれは副作用であって、
「私はしない」をそのまま認めることをしないというのは、
【否認】と【同調圧力】以外のなに。
● 結論
厳しいことを言うけど。
「売る人を見下している」のは元発言を雑に扱って正義の鉄槌を下しているつもりの人たちだわ。
理由?
「当事者を全面擁護、否定批判を排斥する姿勢」は
・「真理の人だから」の盲信
・「権力の人だから」の恐怖と保身
・「カワイソウな人だから」の憐憫
のどれかです。
「(属性)だから無批判に容認すべき、容認以外は禁忌」
これに依っているから「私はしない」にすら容認せず批判するんです。
自分たちがいつも批判していることを、今まさにやっている。
念のため。
自分はこの件で対象を「批判に値する、批判が妥当~するべき」と主張しているのではない。
対象へのジャッジをしているのではない。
批判を【禁忌】にしている、【疑問すら否認する共有意識】、そこを言ってます。
2022年03月11日
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